
障害があるとそんなに違うのかな?
ノーマライゼーションという言葉は、福祉関係の研修に行くとほぼ最初くらいに習うような言葉。「みんな平等」って意味。
障害がある方々でも暮らしやすい社会にしましょう。ってよく習います。障害を理解し、助け合う。困っている人がいたら助ける。
そのこと自体は本当にその通りだと思います。
私自身は障害のある方々に逆に助けてもらったことがあったからこの福祉の業界にいるのです。
障がい者支援の「支援」って抽象度が高すぎて、考えれば考えるほど 支援って何だ? って迷宮入りします。「熱心な無理解者」にならないようにだけは気をつけながらやっています。昔受けた研修では、「勉強もせず、障害についてわからないなら支援はしないほうがいい。余計なことをしてしまう」と教えてもらったことがあります。「想い」だけで関わるのはとても危険なことだと。何度もその現場をみてきました。「想い」だけで関わり、利用者さんの未来の可能性を奪ってしまうような行動。もちろん悪気はないし、善かれと思ってやっている。支援の結果が出ることってずっとずっと先だと思うから、今この場だけよくてもダメなんだということが中々わからない。今支援をしているという実感も支援者側は欲しいから。利用者さんは自分のおかげで笑っていると思いたいから。
何が言いたいかって・・・
障害があるからって「特別」だと思って関わらなくてもいいのではないか。って話です。「やってあげよう」とか「可哀想」は違うのではないか。そう思って関わるのは、見下しているのと同じだと思います。「特別」だと思って関わるから、「自分からの発信」が難しかったり、「優しくしてもらって当たり前」になるのではないかと。
障害があってもなくても、やっぱり自分で努力している人は可愛がってもらえるし、かっこいいと思う。周りが「特別」に関わるから、歯車がズレて、腫れ物に触るような扱いをしなくてはいけない。そういった関わりはお互いに疲れてしまう。
そんな状態をたくさん見てきました。
なので、関わりにそんなに違いがなくてもいいんじゃない?と管理者グレイスは思うのでした。
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